adiós Querétaro!

 

アミーゴ🌵!世界一周中のはやとです。

 

 

気温は26℃、お天気は晴れ。Querétaro滞在中は雨は全く降らず毎日快晴☀️

 

 

昨日の昼はベニートフアレスというメキシコ最初で最期のネイティブメキシカン大統領の像とマクシミリアンというオーストリア人のメキシコ皇帝が処刑されたCerro de las Campanas(鐘の丘)に行って来た。

 

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入場料5ペソ

 

 

メキシコの歴史が好きな人なら悶絶するような場所だが、そんなマニアックな人は少ないようで観光客は土曜日なのに少ない。勿体無いなぁ。。。

 

 

どういう繋がりかっていうとナポレオン政権だった時まで話は遡る。

 

 

オーストリアで王族の元に生まれたマクシミリアンはわんぱくな少年だった。1848年に起きたウィーン革命の時には平民をどんどん捕まえて処刑する王国軍に(おいおい、マジかよ…やりすぎだろ俺ら…)と思ったらしい。

 

 

その後海軍に入りどんどん出世しオーストリア初の世界一周航海をした。

 

 

そしてベルギーの王女様と結婚してミラノで暮らす。彼のミラノでの政策にお兄ちゃん(オーストリア皇帝)がふざけんなよ!自由主義とか言ってんじゃねえぞ!!と怒り左遷されてしまう。

 

 

そんな時メキシコではベニートフアレスの共和派vs保守派の内戦(レフォルマ戦争)が勃発していた。若干フアレス側が有利だったので保守派は助けを求める。アメリカは当時南北戦争中で忙しかったので、フランス(ナポレオン3世)が軍事介入をする。

 

 

直接手を出すとフランスてめぇふざけんなよ!って反感食らうからそこでマクシミリアンに目をつける。そして彼をメキシコ皇帝にすることで傀儡政権とした。

 

 

最初はイヤイヤだったマクシミリアンも嫁に諭され決意する。

 

 

メキシコ皇帝に俺はなる!!と気持ちを高める。オーストリアでの皇位継承権も捨てて。

 

 

メキシコ皇帝になってからは貧困問題や農地改革などに力を入れる。しかし内戦は続き状況は良くならない。

 

 

そしてここでアメリカ登場。南北戦争が終わり、フランスに「お前の国じゃないんだから出て行きなさい」と。

 

 

((お前が言うなよ、と言う心の声を))

 

 

フアレス側に着くアメリカ、なかなかうまくいかない政治、ヨーロッパでプロセインの拡大によりメキシコどころじゃなくなったフランス…

 

 

遂にフランスはメキシコ支配を諦め撤退。マクシミリアンはQuerétaroに逃げたが遂にフアレス軍に捕まり、1867年に処刑。

 

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彼自身はとてもいい人で刑の減軽を各国の首相や当時の自由主義の人達は訴えてたみたい。

 

 

 今はオーストリアのお墓に眠ってる。

 

 

また逆にフアレスはメキシコを守った英雄として国民から今も尊敬されてるのだ。

 

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例えばメキシコシティの空港の名前(ベニートフアレス国際空港)シウダーフラレス(チワワ州の都市)など。

 

 

とても歴史が詰まった街Querétaro。ガイドブックには載ってない面白いところがいっぱいある!来てよかった〜〜。

 

 

また今度会おうAdorian!

 

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次はどこに行くでしょーか!?

 

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YOLO!!